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くさたみの愚考


by sinkougeirai

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紀元節を迎へ

先月、大東会館に赴き歌道講座を拝聴し和歌の重要性を知つた。
そののち、河原尊兄より「現代語から古語を引く辞典」を頂戴した。辞書をまくれば古語(やまとことば)の美しさに目を奪はれた。
その美しい古語を自在に使へるやうになるには、ともかく時間が掛かるのだらうが、辞書を引き引き脂汗をかきながら美しい和歌を詠んでみたいといふ願望が湧き出てくる。

そこで紀元節の佳き日に初披露となる和歌を一首

見上げれば 雲ひとつなき 青空は あまの御業か 国の肇まり

面白くもない愚生のブログの読者諸兄、どうか遠慮のない添削をお願ひ致します。

また明治22年のけふ、大日本帝国憲法が発布された。
以下が発布を祝ふ歌である。

大日本帝国憲法発布

作詞:旗野士良 作曲:ヨーゼフ・ハイドン

1.
月日の影かも隅なく照るは
恵の露かも漏さずおくは
さしても譬へんものなき 御代ぞ
今日より布きます此大憲法(みのり)
今日より布きます此大憲法
2.
ますます栄えん 我が日の本の
御稜威や世界に輝く始め
やがても光の功績ぞ匂ふ
尊き憲法や畏き憲法
尊き憲法や畏き憲法
3.
いよいよ繁らん青人草の
花咲く時こそ これより来たれ
やがても其の実の結ぶは著るし
楽しき憲法や嬉しき憲法
楽しき憲法や嬉しき憲法
# by sinkougeirai | 2013-02-11 12:46

第八十四回歌道講座参加

昨日、大東会館に於いて行われた歌道講座に初参加した。

愚生は参加といふより見学であつたが、参加者は己の歌を披露し、講師である福永眞由美先生がそれぞれの歌を添削し、最後は参加者全員無記名で秀歌を三首選び、天 地 人を決める、といふ流れである。

以下は入選した同憂同志の二首

国難にわれなに為さむ胸に問ひこころしづかにみことのり拝す 河原博史

歌を詠む初の気持ちに身を縮め恥づかしかれど己はげます 近藤勝博


和歌は古来より伝統に則り創造してきたといふ。また大和心を養ふに最も適してゐるともいふ。

また福永先生は歌を詠む際は
一、素直さで歌をつくる
一、相手に伝はるやう
一、稚心を去(甘えない)
事が重要であると仰つた。

愚生も和歌を学び、まことの日本人を目指したいと思ふ。
# by sinkougeirai | 2013-01-27 19:27

会沢正志斎先生著「新論」

前にも記した自他共に認める珍本マニアの河原大兄よりみたび送られてきたのは、会沢正志斎先生著「新論」の版本二冊(全二巻)!

会沢正志斎先生は藤田東湖先生と同じく後期水戸学を発展(完成?)させた逸材の人物。
同じく河原大兄から頂いた「水戸学入門」(西村文規著 昭和11年発行)は前期水戸学から後期水戸学までを書かれてゐるが、愚生が思ふに、後期水戸学の特徴はなんと言つても「敬神尊王・尊王攘夷」にあると思ふ。
時は外夷が日本の開国を迫る緊迫した時代であるが故に、夷狄から日本を守るにはその根本を敬神尊王にあると説く。
また水戸学は元来倒幕思想ではないのだが、結果的に倒幕に導いたところも面白い。

大兄は愚生の浅学を叱咤するために貴重な版本を手放したに違ひないが、藤田東湖先生の「弘道館記述義」同様「新論」は漢文で書かれてをり、版本をそのまま読み解く事は現時の愚生では不可能に近い。大兄のアドバイス通り訳本と同時に読み進めて行こうと思ふ。

また「新論」は過激な内容なため、公刊は許されず志士の間で写筆され秘かに出回り、幕末の志士の思ひが込められたと言ふ事を含めて、大変に貴重な版本である。
この版本が一体何人の尊王の志士達の手に渡り、新たな時代をつくるのに役に立つたかと想像するだけで歴史の重みを感じる次第である。

会沢正志斎先生著「新論」_e0170071_91232.jpg

# by sinkougeirai | 2013-01-21 08:02

神光迎来

おけましておめでたうございます

今年も宜敷く相願ひ申上げ奉り候

※ブログサボり気味ですが、今年は更新多く出来るやうに努力致します・・・
神光迎来_e0170071_12354968.jpg

# by sinkougeirai | 2013-01-01 12:35

ふたたび頂きました!(珍書)

前回、河原大兄より平田篤胤先生の古道大意(上下巻)の古書を頂いた事を記したが、愚生のブログを読んで気を良くされたのか、ふたたび平田篤胤先生の古書を送つて頂いた!

今回は「医宗仲景考」といふ板本。
ふたたび頂きました!(珍書)_e0170071_8403167.jpg

これは医学の哲学書である。珍書と言ふ点では、古道大意より希少かも知れぬ・・・
「希少なもの」とは幾らお金を積んでも手に入らぬものである。例へは悪いが、時代は違へど敬虔なクリスチャンが聖書の初版を手に入れたら、大いに狂喜乱舞するだらう。それを愚生などに・・・m(__)m

なぜ国学者の篤胤先生が医学哲学を講説されたか調べてみると、文化四年(西暦一八○七年)江戸で医業を開き、名を玄瑞と改めたさうだ。
ちなみに本居宣長先生の嫡子である春庭に入門を願ひ出たのが文化二年であるから、その二年後といふ訳だ。
師である宣長先生が医師であつたことが、さうさせたのかは不明であるが兎に角篤胤先生は医師でもあつたのだ。
篤胤先生の医学哲学には、医宗仲景考の前に志都能石屋(医道大意)と言ふ著書も出してゐるが、内容は重複してゐる箇所はないといふ。

愚生はもちろん医師でもなく、医学についても豆知識も有してゐないが、医宗仲景考には支那の漢時代の医学者「張機字仲景」が編纂した医学書を基に論じてゐて、志都能石屋には神医道の淵源が論へられてゐるらしい。
また西洋医学についても否定することなく、世の為人の為に大いに期待を寄せてゐたといふ。しかしそれに伴ひ、神の医道の淵源を忘れてゐる事は大いに批判されてゐるらしい。
また臨床実験にも多く参加し「志を定めるとは、病の根拠を探り出すことだ」と言ひ、古学と照らし合はせた結果、病因は邪神邪霊達のケガレたも奥底に憑依したらしい。(らしい、と繰り返すのは、明治聖徳記念学会紀要〔復刊第45 号〕から引用して、自身では読んでゐないから)
よつて、ケガレをもつた憑依霊がつかぬやう、日々の生活を正せ、と言ふことだらうか?


国学者の篤胤先生は後世に解説書が多く出回り、憂国の志の「バイブル」としてその名を馳せてゐるが、医師としての篤胤先生の解説書が皆無?なのは、現代の医学会が如何に西洋一辺倒であるかが伺へる。
もし医宗仲景考の解説書などがあれば、ぜひ入手したいものだ。

読者諸氏の中でこの解説書を見つけたら是非ご一報下さい!

医学にはとんと縁の無い愚生であるが、篤胤先生の板本といふだけでときめいてしまふのは、ただのヲタクなのか?
篤胤先生の板本は、その内容に価値がある事は頭で理解しても、所有してゐるだけで大いに満足してしまふのは、まだまだ浅学非才な証拠だ。反省せねば・・・

さう言へば河原大兄の御宅に訪問した際、古書が所狭しとならんでゐた。しかも本居宣長先生の部、平田篤胤先生の部、水戸学の部などなど、綺麗に整頓されてゐた。
しかも画像の古書はほんの一部だといふ・・・(しかも本居宣長先生の古事記伝の板本発見!!
ふたたび頂きました!(珍書)_e0170071_8443384.jpg


千が一、いや万が一にも河原大兄が愚生にみたび古書を送る気になる時が来るかも知れぬので、ここはキツチリとゴマスリを欠かさぬやうにしなければ・・・

うつし世の定めにより、愚生もいつか幽世に行くが、その時はこれらの希少稀なる本を後世に残すのか、棺に入れて貰ふのか、それが問題だ。
個人的には後者の方が希望であるが・・・
# by sinkougeirai | 2012-12-02 08:48